番号11021-16
画題豚(ぶた)の當惑(とうわく)
揃い物日本萬歳百撰百笑(ひやくせんひやくせう)
判型大判
絵師小林清親
落款清親
清親
年号明治27年
板行年月1894年12月
板元松本平吉
詞書き豚(ぶた)の當惑(とうわく)   骨皮道人

蜻蛉「サアどうだ、此処(ここ)まで追詰(おいつめ)れバ如何(いか)に蛆虫(うじむし)/ 同様(どうやう)の豚痴奇(とんちき)でも、少(すこ)しハ痛(いた)いとか痒(かゆ)いとか感(かん)じ/たらう。夫(それ)とも未(ま)だ傲慢(ごうまん)な面附(つらつき)で居(い)るか知(し)らない/ が、もう斯(かう)なれバ煮(に)て喰(く)はうと焼(やい)て喰(く)はうと/ 此方(こつち)の勝手(かつて)だ」  豚「夫(それ)やァもう元(もと)を乱(ただ)せバ私(わたく)しが、/ 彼(あ)の鶏(にわとり)を一嘗(ひとなめ)にして腹(はら)を肥(こや)さうとしたのが、万/万(ばんばん)悪(わる)う御座(ござ)いました。夫(それ)のミならず世界(せかい)に羽(はね)を/ 伸(のば)して入(ゐ)らッしやる貴方様(あなたさま)を弱虫(よわむし)と見損(ミそこな)つて/ 手向(てむか)ひを致(いた)した処(ところ)も、私(わたく)しが重々(せうせう)悪(わる)う御座(ござ)い/ました。定(さだ)めしお腹(はら)も立(たち)ませうが何様(どん)なお詫書(わびしよ)/ でも差出(さしだし)ますから、此度(このたび)の所(ところ)は幾重(いくえ)にも御(ご)/勘弁(かんべん)下(くだ)さいまして、どうぞ命丈(いのちだけ)ハお助(たす)けを願/ひます。是(こ)れ此(この)通(とふ)り豚首(とんしゆ)再這(さいはい)尻尾(しつぽ)を下(さげ)て/ お詫(わび)を致(いた)します」 佛の蜂「夫(それ)やァ宣(いい)が自己(おれ)の方(はう)ハ/ 何(どう)する積もりだ」 露の蜂「自己(おれ)の方(はう)も何(どう)するの/だ 」英の蜂「自己(おれ)の方(はう)も何(どう)するのだ、早(はや)く片(かた)を附(つけ)な/いと此剣(このけん)を以(もつ)て刺殺(さしころ)すぞ」 豚「この泣(なき)ッ面(つら)の所(ところ)へ/ 又候(またぞろ)さう四方八方(しはうはつぱう)から攻立(せめたて)られた日(ひ)にハ露(ろ)うして/英(えい)やら佛々(ふつふつ)困(こま)り果(はて)ました」
描写日本兵服を着てサーベルを持った蜻蛉に、拳銃で狙われ、外国人の顔を持った三匹の蜂に刺されて、網下げ髪の支那服姿の豚が泣いている。
解説この揃い物の画題の「百撰百笑」は、「百戦百勝」の語呂合わせである。清親は、日清戦争プロパガンダ戯画の本シリーズで、敵国清国人を徹底的に卑下して描いている。この版が出版された12月には、日本軍はすでに遼東半島の旅順と大連を占領していた。本図は「擬獣化」の手法を使っている。豚は、当時「豚尾」と軽称されたその長い網下げの髪から清国のシンボルで、蜻蛉は戦勝続きの日本、三匹の蜂は、欧列強大国のロシアとイギリスとフランスで、戦後、弱体化した清国から、ロシアは旅順と大連、イギリスは九龍半島と威海衛、フランスは広州湾を租借する。詞書きの最後で、「露うして英やら佛々困り果ました(どうしていいやらふつふつこまりはてました)」と三カ国の名前を使って、語呂合わせを楽しんでいる。
所蔵国立歴史民族博物館
画像提供個人
絵種戯画, 日清戦争絵, 風刺画
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