番号11021-17
画題分鳥(ぶんどり)
揃い物日本萬歳百撰百笑(ひやくせんひやくせう)
揃い物の解説50枚
判型大判
絵師小林清親
落款清親
小林
年号明治27年
板行年月1894年12月
板元松本平吉
詞書き分鳥(ぶんどり)骨皮道人
サアサア皆(みな)さん御覧(ごろう)じませ、是(これ)ハ此度(このたび)豚尾(とんび)もコロ/コロの国から造作(ぞうさ)なく生捕(いけどつ)て参(まい)つた分鳥(ぶんどり)で御(ご)/座(ざ)い、全桂香(ぜんけいきやう)なら唐(から)の鶏(にわとり)よと屁忘将棋(へぼしやぎ)の隊長(たいちやう)/ でも御存(ごぞん)じでありませうが、此様(こん)な分鳥(ぶんどり)なんぞと手も/ 足も出(で)ないやうな意気地(いくぢ)のない城物(しろもの)ハよもや皆(みな)さん/ も御存(ごぞん)じハありますまい、抑々(そもそも)この分鳥(ぶんどり)と申(もを)し/まするい、先(ま)づ豊島沖(ほうとうおき)でとり成歓(せいくわん)牙山(がざん)でとり、/ 平壌(へいじやう)でとり、九連城(れんじやう)でとり、鳳凰城(はうおうじやう)でとり、大連(たいれん)/湾(わん)でとり、旅順口(りよじゆんこう)でとり、摩天嶺(まてんれい)でとり遼陽(りやうやう)/城(じやう)でとり、奉天府(ほうてんふ)でとり、北京(ぺきん)でとり、斯様(かやう)に何(いづ)/方(かた)でも我国(わがくに)の武運(ぶうん)続(つづ)く、攻(せ)むれバ必(かな)らず取(とる)と云(い)/ふので、一名(めい)之(これ)を武運鳥(ぶうんどり)とも称(とな)へます。サアサア/ 皆(みな)さん御覧(ごらう)じませ、此(この)大(おほ)べラ棒(ぼう)がチョコ犀(さい)にも/生意旗(なまいき)を振廻(ふりまわ)し、無鉄砲(むてつぱう)の見當(けんとう)が違(ちが)ひ/ 大法螺(おほぼら)を吹損(そこな)つて閉口(へいこう)した処(ところ)の容体(えうたい)なり。/ 又負(まけ)の綱(つな)で縛(しば)られてアアどう鐘(しやう)どんだ古刀(ことう)を/ したと、凡槍手鼓摺(ぼんやりてこずり)て居(い)る有様(ありさま)能(よ)く/能くお目(め)を留(とどめ)られて御一覧(ごいちらん)、見料(けんりやう)ハ只(ただ)の/ 一戦(せん)に負(まけ)ました
描写戦争の武器や様々な品で合成された鳥、下部には「降」の旗を付けた船が空を飛んでいる。頭部と身体が大砲口、嘴に剣、清国将校の帽子と服、両足にラッパ、翼に清の戦旗、尾羽には鋤が使われている。
解説この揃い物の画題の「百撰百笑」は、「百戦百勝」の語呂合わせである。清親は、日清戦争プロパガンダ戯画の本シリーズで、敵国清国人を徹底的に卑下して描いている。この版が出版された12月には、日本軍はすでに遼東半島の旅順と大連を占領し、奉天から北京へと兵を進め勝戦を続けていた。詞書きでは、この日本軍の各地での「分捕り」品を集めて作った想像鳥を「分鳥」と名付けて見世物にし、この鳥をどこで生捕ったか、如何にして出来たか、どんな形をして居るか、語呂合わせを使って、李鴻章と清国軍を馬鹿にした口上にしている。最後の「一戦」は「一銭」の地口で、戦争に負けたことと、見料を負けた(安くした)ことをかけ詞にしている。
所蔵国立歴史民族博物館
画像提供個人
絵種戯画, 日清戦争絵, 風刺画
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