番号11021-37
画題北京(ぺきん)の摘草(つみくさ)
揃い物日本萬歳百撰百笑(ひやくせんひやくせう)
揃い物の解説50枚
判型大判
絵師小林清親
落款清親
清親
年号明治28年
板行年月1895年4月
板元松本平吉
詞書き北京(ぺきん)の摘草(つみくさ)  骨皮道人
勇気(ゆうき)勃々(ぼつぼつ)たる征清(せいしん)の兵士(へいし)が二人(ふたり)揃(そろ)つて散(さん)/ 歩(ぽ)に出掛(でかけ)しに図(はか)らずも妙(めう)な広場(ひろば)を発(みつ)/ 見(け)出(だ)せしより 甲「ヤァ君・・・コリヤどうぢやい、 / 御同様(ごどうよう)に北京城(ぺきんじやう)を攻略(せめおと)してペンペン草(ぐさ)を / 生(はや)して呉(くれ)やうと思(おも)つて居(い)たのに、何時(いつ)の間(ま) / にか此様(こない)な野原(のはら)なつて、土筆(つくし)だの蕨(わらび)だの / 様々(いろん)な物(もの)が生(は)へちよるワ・・・エエヲイ是(これ)を見(み) / 給(たま)へ是(これ)を、おわらび草(ぐさ)チウ洒落(しやれ)でもあるまい / が何(なん)にしても双(そう)の拳(こぶし)ハ振(ふり)あげて居(い)ても、元(もと) / 元ハ意気地(いくじ)のないちやんちやん国(こく)ぢやから、山(やま) / の横面(よこつら)を春風(はるかぜ)チウ勢(いきほ)ひもないノウ 乙「なる程(ほど)是(これ)は / 奇々妙々(ききめうめう)と変法来(へんぽうらい)ぢや、今度(こんど)の戦争(せんそう)に就(つい)ち / やァ随分(ずいぶん)伯夷叔斎(はくいしゆくせい)が多勢(おおぜい)出来(でき)たと見(ミ)える / わい、ぢやが北京(ぺきん)で摘草(つミくさ)をするチウのも亦(また)一興(きやう)ぢ / や、ナント此奴等(こやつら)を片(かた)つ端(はし)からペキンペキンと折(をつ) / て遣(や)らうぢやないか 甲「止(よ)せ止(よ)せ芸(げい)もない、此様(こない) / な物(もの)を取(とつ)た所(ところ)が却(かへ)つて荷厄介(にやつかい)で仕方(しかた)がない / がや 乙「夫(それ)でも先方(さき)ぢやァ折角(せつかく)心土筆(こころつくし)ぢやチウ / て、態々(わざわざ)蕨(わらび)のしを附(つけ)て居(い)るでハないか
描写日本兵が二人笑いながら、悲しい顔にえがかれた土筆や蕨を摘んでいる。
解説この揃い物の画題「百撰百笑」は「百戦百勝」の語呂合わせである。清親は、日清戦争プロパガンダ戯画の本シリーズで、敵国清国人を徹底的に卑下して描く。本図が版行された1895年4月には、日本の大勝で終戦、アメリカの仲介により下関において、日本に一方的有利な条件で日清講和条約が調印された。本図には、占領下の北京で、散歩に出かけた日本兵が、敗戦で荒れ果てた北京の城跡にはえた土筆や蕨を、弱い清国兵に見立てて、ペキン(北京)ペキン(北京)とふざけながら折っている場面が描かれている。
所蔵国立歴史民族博物館、ハンブルグ美術工芸博物館
画像提供個人
絵種戯画, 日清戦争絵, 風刺画
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